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『科学から芸術へ』記念講演会7

『ウイッピータイムスのホームページ』が新しくなっていました。

それでは前回の続きです。今回は、教科書には載っていない日本の歴史の真実にせまります。


五井野正著『科学から芸術へ』より

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2.シュメール世界と古代日本の関係性から仏教の悟りの真実まで

ですから、このシュメール民族が我々日本人と古代でつながっている

我々は大和王朝があって今の日本があると思っていますが、では、その大和王朝の前はどういう国があったのかというと解らないのです。

古事記、日本書紀から調べていくしかないのですが、この古事記や日本書紀もAC700年から800年位に出来たので、
そんなに昔ではないのです。その前には聖徳太子もいたし、奈良、飛鳥時代もあったわけです。

その奈良時代の前に白村江の戦いのときに日本軍は唐と新羅の連合軍に負けたわけです。その後、九州の太宰府に唐と新羅の連合軍の司令室が置かれたわけです。

※日本書記 天智六年(667年)、太宰府が「筑紫都督府」に変わっている。これは日本側からみた名称のように教えられているが、唐が高麗に「平壌都督府」、百済に「熊津都督府」と、置いた例から唐の司令室に当たる。


つまり、負けたわけですから、戦後のGHQの様に国は独立しているけれども支配下にある。ですから、九州の太宰府の所に日本府というのが置かれてしまったのです。

ですから、奈良という名は古代韓国の言葉で「平安」という意味を持ちます。

京都は唐に倣って都市を造った。我々は唐の文化を取り入れて、日本が造ったと思っていますが、都市計画を考えた時に日本の自分たちの国は自分たちの伝統で都市を造るものなのに、どうして中国のそのままをポンと持ってきてしまたのか。

考えてみれば、あの白村江に戦いの時に日本はある程度中国と新羅に支配されてしまったという現実を知れば理解できると思います。しかし、教科書では教わらない

ですから、我々の日本史というのは自分たちから観た世界であって、A=Bだと思っていますが、Bから観たら「違いますよ!」と言ってくるわけです。

ですから、我々がそういう思想を持って中国へ行くと、中国を破壊して0にしてしまうという法則になるわけです。つまり自分たちの主観で中国、韓国を観るからです。

ですから、こういうA=B、「日本の歴史観が全てですよ」と我々が思っても、中国からすれば「違いますよ」となり、つまりAは邪魔になって0=B-Aとなって0を残すということを実際にやってしまったわけです。

自分が「こうだ」と思っていても、相手が「そうだ」と同じように思わなければ、相手を必ず破壊してしまうのです。私が言っているのではなく、数学がそう言っているのです。0にしてしまうのです。

ですから、今までの日本の神話を中国語に直す。中国風に直したのが古事記、日本書紀の世界になったと考えてみる必要があると思います。

では、それ以前の言葉とは、どんな言葉が使われていたのかというと、実は出雲文字とか、”トヨクニ”文字というのがあるのです。

浮世絵師の豊国と同じ文字なのですが、”トヨクニ”文字、つまりトヨの国が昔あったということ。あったからこそ豊臣秀吉の豊の臣、つまり豊の大臣という言葉が生まれたのだと思いませんか?

何故、豊臣秀吉の周りが「危ない、無茶だ無茶だ!」と言っているのに韓国、中国を攻めたのか?それは日本史では ? とされています。ですが、簡単なのです。

”トヨクニ”文字が存在していたということは、豊の国が存在していた。その豊という国は卑弥呼の時代に日本という国があって、中国から観た日本というのがあるわけです。

魏志倭人伝の中に卑弥呼という女王がいて、その女王と相対する国も存在していたのです。

ですから、日本は正確にはまだ統一していなかった。ところが卑弥呼が死んでから内乱が起きて”台与”と書いて、そのまま「トヨ」と日本では呼ぶのですが、そのトヨが出てきて日本は統一した魏志倭人伝では書いてあるのです。

ということは、豊(トヨ)によって初めて日本は統一したということを中国から言っているのです。学者がなんと言おうと、中国からはそういう言い方をしているのです。

ですから、ここで豊(トヨ)という世界が出てくるのです。これが中国から観た日本の姿なのです。ですから、室町時代以降に北朝、南朝と分かれましたが、そういう風に流れた中にも、古代からの豊(トヨ)という本来の日本の豊(トヨ)という流れもあったと思うわけです。

つまり、羽柴秀吉が征夷大将軍を選ばないで摂政関白となった。貴族の方を選んだのです。

そして豊臣秀吉という名になるのですが、この時、豊(トヨ)という文字が出て来るんですね。そして、その臣ということです。

ですから豊臣秀吉は豊(トヨ)という国、つまり、かつて奈良時代の前に新羅と唐と戦って負けた後、漢字使用令が出されましたが、それ以前にトヨ国文字というものがあった。

そういう民族主義が出てきて韓国、中国を攻めるという風な形で簡単に歴史が理解できると思うのですが…。それ以外はあんな無謀なことをする理由が見あたるでしょうか?

もちろん、茶碗戦争と呼ばれたくらい、当時韓国の茶器がもてはやされた。だから茶碗や陶器製造の技術者が欲しかった。そういう理由もあるでしょうが、日本は略奪文化ではないのですから、戦争をするにはそれなりの自国意識が必要です。

周りがそんな中国や、当時すごい国ですからね。中国を攻めたって負けるのに何故、攻めていったか...。それには、それなりの神話、国民意識があったと…。

まだ当時、豊(トヨ)という思想が流れていたと思います。ですから”トヨクニ”文字という文字が実際に存在し、それがインダス文明のストーパーに残されている文字と何か類似点がある。

ストーパーとは、インダス文明の遺跡の中にあるんですが、その中に文字があって、それも世界ではまだ解読出来ないんですが、”トヨクニ”文字の原型かも知れないと考えると、いずれ解読できるかもしれません。

日本とインダス文明とは非常にどこ関係しているのですが、このヘブライ文字といい、アルメニア、この辺りまで日本の言語学的にルーツみたいなものがある。

そう思うと政治、経済では遠いですが、文化的には非常に何か近い。そういうことで、政治・経済で遠い場合には、文化で近づけることが出来る。そして文化交流が行われたときに、段々と政治交流、経済交流が行われるのです。

歴史的に観ますと、シュメールはこのインダスからアルメニア地域まで、昔の大きな一つの文化圏を持っていた。

シュメール文化とは、楔形文字を使っているのですが、そこにアーリア人が入ってきて、そしてインドと西アジアに分かれた。

だから、この地域の言葉はインド・ヨーロッパ言語といわれ言語学的には一緒なんです。つまり古代この辺りは、同じ国家、同じ民族、同じ言語を使っていたと考えられるわけです。


そこにアーリア人が入ってきて、インド・アーリア文化、アーリア・イラン文化、アーリア・ギリシャ文化、そしてドイツ・ア-リア文化になったのですが、ヒットラーの「我々はアーリアの末裔だ」という考え方はここから出てくるのです。

ですから、この時点ではインドまで含んで同じ民族だった。アーリア人が入ってきて、このインド辺りの民族が東アジアや日本へ移動したと考えられ、西アジアの方はエジプトやアラビア半島に流れるわけです。

アーリア人とはアッシリアと言われていますけれども、最初アルメニアにいた人達が、アーリア人の侵攻によって拡散します。

エジプトの方へ逃れて、モーゼによってまた、元の地方へ戻ろうとします。その途中段階の地で二つの国、イスラエルとユダという国が出てきます。

そして、このイスラエルという国は滅ぼされてまして、ユダという国が残ります。そのユダも十部族に分かれて、世界に流れて行きます。

それが今日のユダヤ民族となるわけです。でも、ユダヤ民族も元をたどっていけば、アルメニア地域の民族になってしまうのです。聖書では先ず、エデンの園が出てきて、その次にノアの方舟が出てきます。そのノアの末裔が最後にはユダヤ人になっていくわけです。


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奈良時代の前に日本はすでに唐と新羅の連合軍に負けていたという驚くべき話が出てきました。
そこにもA=Bという数式がでてきて、まさに今の日本と中国の関係その数式の通りに動いています。
敗戦国として漢字を使用することになる前にあった「トヨの文字」が古代インダス文明と繋がって、
さらに遡ると…

(続く)



前回までの記事はこちらです。
『科学から芸術へ』記念講演会1

『科学から芸術へ』記念講演会2

『科学から芸術へ』記念講演会3

『科学から芸術へ』記念講演会4

『科学から芸術へ』記念講演会5

『科学から芸術へ』記念講演会6



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