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人権擁護安全保障連盟4

日本の江戸時代の真実の姿と西欧の人々がなぜ日本を理想の世界としたのか、日本に憧れたゴッホの書簡と絵を通して述べられています。

3年前に出版された月間『ザ・フナイ』2010年1月号vol.28より
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世界に誇れる江戸時代の日本社会

つまり明治時代は薩長が西欧社会を模範として、それ以前の幕藩体制を壊すために薩長を中心とした中央集権の強い官僚システムを作って、その中に国民を従属させてきた時代である脱亜入欧(アジアから離れて西欧に加入する)の思想の下で文化、政治、軍事、教育と何から何まで欧州を模範とし、中国や韓国、さらにそれまでの日本の伝統や習慣、道徳などありとあらゆるものを軽蔑してゴミ屑のように捨て去った

だから明治の教育では江戸時代の制度は一方的に封建制度と侮辱して江戸の文化史を改ざんし、誤った江戸史観を国民に教え込ませてきたのである。私はその非を改めようとして28年前に自著『法華三部経大系』を出版し、その第3章にこのことを記した。

さらに自然の中で人間らしい生き方をしてきた古き良き時代に日本を戻すために『ふる里村情報』という雑誌を創刊し、全国の書店に並べた。その中で危険食品や東京都の水道水問題、農薬と化学肥料問題などを告発しながら無化学肥料、無農薬農業を推し進め、モデルケースをどんどん作って雑誌で紹介した。

その結果、無農薬、無化学肥料の野菜や果物が一般の農家でも生産され、流通も出来て人々の食卓に並ぶようになったのは喜ばしいことである。また人々は水をスーパーで買って飲むようになり、食べる物、飲む物の安全性を注意するようになった。

このこと自体は良いことだと思うが、商業主義が消費者の無知にぬけめなく入り込んでペットボトルや偽装表示など新たな問題を生み出している。

そのような商業主義は明治に入って西欧から取り入れたものであり、本来の日本人精神ではない。この点について『ザ・フナイ』で度々登場する知人であるベンジャミン・フルフォード氏が太田龍氏との共著『まもなく日本が世界を救います』の中で詳しく記されているので参照して欲しい。

もちろんここで言う「日本」は明治以降の今の日本の事ではなく、自然融和、リサイクル社会、自由と平等社会であった「江戸時代」の日本である

先ず、江戸時代の官僚システムというのは、官僚に当たる武士が少人数で地域を管轄していた。というのも統治は住民の自治に任せたから少人数でも可能だった。

そして、その武士は高い倫理観を持って質素な生活をしていたから質の高い行政管理が出来、しかも100万都市をたったの300人で全て行政を執り行っていたというから、財政的にも負担が軽いということになる。それでいて治安が世界一良いのだ

住民も社会的公共心を持っていたから街は美しく、河沼の水は引用出来ぬほどきれいで、貧民も相互扶助の精神で助け合うから飢えて死ぬという人もいなければ、泥棒もいない

こう聞かされると明治以降の教科書に洗脳されている今の私達はビックリするかもしれない。しかし、これは真実なのである。

江戸の幕末に来た著名な外国人が語っている言葉がそれを証明するであろう。例えば英国の駐日大使ラザフォード・オールコックが1859年(安政6年)6月に来日して1862年3月に帰国するまでの間に滞在した手記が『大君の都』として出版されている。

彼はその中で日本の農村や江戸市内の道や街路は良く手入れされて、きわめて清潔で汚物に邪魔されずに通行するのに楽であると語り、彼が訪れたアジア各地やヨーロッパの都市と比較して全く正反対であると述べている。

また、個人の自由と平等に関しては西欧の民主国家よりも日本の農村で働く労働者の方が多くの自由を持っていると記述している。この件に関して来日した多くの外国人も同様に語っている。

例として『逝しき世の面影』(渡辺京二著、平凡社)という本が出されているが、その本には日本に来た外国人が後に日本の印象を書にして発刊した文面を数多く引用して、江戸時代の姿を真に説明している。

第7章の「自由と身分」では、出島のオランダ商館に勤務していたフィッセルの言葉を載せている。彼は西欧で「日本は専制主義の封建社会」と認識されていたが、実際は正反対であって専制主義は名目上だけで実際は存在しないという。

このフィッセルの記述から分かるように、当時の日本観がそのまま明治の日本に持ち込まれ教科書となったために、今日我々は誤った江戸時代の認識をそのまま固守しているのである

また彼は日本には奴隷制度という言葉もなく、勤勉者は高く尊敬され、下層階級の人達も生活に満足して、食べ物に困る貧乏人は存在しないと説明している。

そして階級の上下の関係は丁寧で温和だという。法は平等で、法の上に立つ人はいない。そして、もっとも身分の低い商人でさえ最大限の自由が与えられていると記述しているのである。

面白いのは、1854年のドンケル・クルティウスの本国オランダ宛の報告書だ。この報告書では一般人はかなり自由な生活をしているが、公職者(武士)は不自由で、その頂点に立つ者(将軍、大名)は掟(おきて)を守る奴隷の頭(かしら)とも呼ばれていると書かれた文面である。

つまり、今で言うと首相は法を遵守する奴隷の頭ということで、官僚は国民の奴隷ということになる。

この事は、名目上は専制主義の封建社会であっても実際は庶民が主権を持ち、自由と平等を最大限に味わい、逆に支配者たちは不自由で法に縛られ奴隷のようだという当時の事実を表しているのだ。

とすれば、官僚は国民に奉仕するというのが民主主義の理想であるが、江戸時代ではなんと理想以上になって官僚は国民の奴隷だったのである。

だから薩長は、掟に縛られた徳川幕府をなんなく倒せたのである。薩長政権のための中央集権型官僚制度が作られ、1873年(明治6)年の地租改正(※)によって地方経済は疲弊し、国民が次々と資本の奴隷にされてしまったと言うのが、明治以降の現実の姿なのであろう

(※地租改正:この改革により、江戸時代の「年貢制度」にとって代わって、日本にはじめて土地に対する私的所有権(実質的な財産税)が確立した。)

さらに徴兵制度が作られ、清、韓国、ロシアとの戦争に日本国民が借り出されてしまった。

そして、戦争、戦争と明け暮れた後に終に全世界を相手に戦争した結果、敗戦。連合国の占領、政治、経済、軍事、教育、マスコミの米国統制化が行われ、そのまま続いて今日の日本となっているのである。

そこで、日本人の血を流れ受ける者は古き良き日本を思いださなければならない。それはかつての日本が「地上天国(パラダイス)、あるいは極楽(ロータスランド)に最も近づいている国」と述べている英国人の詩人エドウィン・アーノルドが日本に来た時の言葉に耳を傾けるべきだろう。

このような賛辞ははアーノルド氏だけでなく、前述したフィッセル氏も「この地上の天国、またその美しい自然」と表現しているからだ。

このようは自由で平等で、しかも自然の美しさの中で公共心を持った人々が互いに助け合った、かつての江戸時代の日本が、西欧の知識人に大きな影響を与え、西欧に日本的な自由と平等と文化が生まれ、江戸時代の日本こそ理想的な社会だと主張する文化人が次々と現れたのである。

この時の思想がジャポニズム(日本主義)である。この言葉を「日本趣味」と訳す学者は、無教養の非日本人ではないだろうか。

このジャポニズムに大きな影響を受けたのがインプレッショニスト(日本では印象派と訳されている)と呼ばれたマネ、モネ、ゴッホ等の画家達である

特にゴッホは、

「僕らは日本絵画を愛し、その影響を受け、全てのアンプレッショーニストの画家に共通することだが、それなら僕らはどうしても日本へ、いうならば日本同様のところに行くということだ。それは南仏だろう?」(ゴッホ書簡500 アルル1888年6月4日頃)

と述べ、理想の国・日本を南仏に見立ててアルルに行くほどであった。そして、アルルの地で友人であるベルナールに手紙を書く。

「あなたに書くと約束したように、私は先ずこの地方が澄みきった空気と鮮明な色彩効果を持つ日本の美しさと同様に思われる土地として私には見えることを伝えることから始めたい」(書簡B2  ベルナール宛 アルル1888年3月)

この文章でわかるように日本とは美しい国というイメージがベルナールと共有してゴッホの頭の中にあることがわかるだろう。更にゴッホにとっては、

「黄色と菫(スミレ)色の花が一面に咲いている野原に取り囲まれた小さな町、まるで日本の夢を見ているようだ」(書簡487 テオ宛 アルル1888年5月)

と述べるように、美しい花が一面に咲いた野原に取り囲まれた町が日本のイメージと重なっているのである。というのも前述した『逝きし世の面影』の本の第11章ではオランダ人ハラマタ氏の江戸の印象として、

「町中ところどころに公園といってよい大きな庭園があるので、まるで田園の村の中にいるような気分になります」

という記述や、数多くの外国人達が口々に「ヨーロッパと比較して江戸ほど美しい町はない」と、自然に取り囲まれた江戸の美しさを述べているから、当時の西欧人にはこうしたイメージが日本の印象として映っていたのであろう。そこで、

「僕の親しい弟よ、僕はまるで日本にいるみたいだということを君は知っているよね」(書簡469テオ宛 アルル1888年3月14日頃)

と述べるように、ゴッホは花咲く美しい町アルルを日本同様に考えたのである。それは妹への手紙で、

「”僕は日本にいる”と、ここでいつも自分に言い聞かせているから、僕のほうは、ここで浮世絵を必要としない」(書簡W7 末妹ウィレミーン アルル1888年9月9日頃)

と書いていることから理由がわかってくる。確かに文章だけでは実感がわかないが、浮世絵にはそうした美しい江戸の町々と人々の生活が描かれている。

ゴッホはそれまで浮世絵を見て美しい江戸の町を夢見ていたが、今は現実にアルルの中に日本と同様の美しい町を発見したのである。

それにしても何故ここまでゴッホが「日本」に魅了されているのか?その理由は、ゴッホがアルルに行った前年(1887年)のパリ時代に描かれた2枚のジャポネズリ(※)の絵に描かれた日本文字を解読するとわかってくる。

(※ジャポネズリ:一般に「日本趣味」と訳されることが多いが、ゴッホの書簡の中では「浮世絵」もしくは「日本絵画」と訳すべき言葉である。)

その日本文字を解読しない限り、ゴッホの絵画が全く理解できないということが明らかになってくる。

私はこの文字を世界で最初に解読し、ゴッホの心情とゴッホが夢見た日本を表現した絵画を歌川工房で制作し、日本の公立美術館で次々と展覧したところ、会海外の国立美術館でたちまち評価され、遂に1995年(平成7)年9月に世界三大美術館の一つ、ロシア国立エルミタージュ美術館で展覧会を開くことになった。

展覧した絵には、ふるさと・日本の世界が描かれ、見る人を江戸時代にインナートリップさせる力があるようで、どの国の美術館でも大反響となり、ロシアでは後に「ロシアは日本の江戸時代に戻らなければならない」と大きなタイトルで新聞の9ページ目全面に特集するほどであった。

DSCF1810.jpg

そこで、日本人なら知らなければならないゴッホ・コードとも呼ばれるゴッホの日本文字解読について引き続き話を進めたいところであるが、今回は誌面の都合もあるので、ここではその解読本をぜひ読んでいただきたいと申し上げておくにとどめたい(※)。

(※この解読本は日本オーダー出版で第一篇、第二篇(各1,000円)が出版されています。)

以上、お伝えしたいことは、まだまだ山のようにあるのだが、今回はこのへんでひとまずペンを置くことにいたします。

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昔の教科書では、明治時代になってようやく文明が開化し、それ以前の江戸時代では農民が年貢を取り立てられ苦しい生活をしていたと習いましたが、訪れた外国人の書物からも事実は全く逆であるということに気付かされます。

たった300人程度で100万都市の行政を執り行っていたというのも驚きですが、その官僚がまるで奴隷のように国民に奉仕をしていたというのは今の時代からは想像がつきません。

五井野正博士のおっしゃるように、ヨーロッパに大きな影響を与えた浮世絵は日本が世界に誇れる素晴らしい美術品であり、浮世絵を通して過去の歴史や文化を学ぶこともできます。

日本人として正しい江戸時代の姿を知って、見習うべきことは見習っていきたいものです。


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