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五井野正博士の中学生時代5

自然が大好きだった五井野少年ですが、ただ出かけていただけではなかったようです。

以下「あおぽ」vol.361より続きます

Q:高校に行かないで山の中に住むという話がありましたが、どうなりましたか。

奥多摩の山の頂上だったら一坪50円くらいで土地が買えると思って、奥多摩湖に何回か行きました。

そしたら先輩から、たっちゃん(五井野少年)は頭がいいから絶対に東大に行け、それには高校に行かなければだめだと言われました。

親からも高校に行かないのは馬鹿だと反対を受けて、それで多摩川の上流の河原や梨畑がある所に建てられた(神奈川県立)多摩校にしかたなく行ったのです。

自然が好きでしたからね。中学校の時は、時々土曜や日曜日になると愛犬を連れて5〜6km位離れた場所にある山に歩いて行ったり、電車で三浦半島や奥多摩、相模湖などにもよく行きましたね。

夏になると信州や田舎の上越市、当時は高田市と言ってたんですが、そこに行って、更に妙高山とか糸魚川とかあちこち旅行して田舎の人に心配させたりしました。

特に中学1年の時は地質学クラブだったので、旅行がてら岩石鉱石の標本を集めたりして、その内本格的になって川崎市の賞をもらったほどです。

卒業の時、学校側が貴重な資料だというので学校に寄付しちゃいました。多分、500点位あったと思います。福島県から岐阜県までほとんどの県を旅行して採取しましたからね。


川崎市から賞をもらうほど標本集めに熱中されていたようです。
集めた標本を学校にポンと寄付されるところは、世界中に浮世絵を寄付する運動に続いていったのでしょうね。

博士は親や先輩から言われたこともあり、高校に進学することになります。

(続く)

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テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

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